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ダイエット日記だったんじゃ・・・?


by morozou2004
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十字軍の諸侯達

最近、PCのクルセイダーキングスっていうゲームをやってるんだけど、これが中々面白い。十字軍の時代のヨーロッパをシミュレートしたゲームで、一族を繁栄させて行くゲーム。日本で言うと、多分蒼き狼と白き牝鹿シリーズが一番近いイメージだと思うんだけど、内政なんかはほぼ自動で、君主と役職についてる人間の能力で決まるだけ。プレイヤーが能動的にできる事といえば、人事、同盟、結婚、暗殺の四つくらいかな。基本的には見てるだけで、そういう意味ではヨロタクに近い感覚で遊んでます。以下リプレイ。

1066年、シュヴィーツ伯ディートリッヒとしてヨーロッパの大地に立つ。領地はスイス地方のシュヴィーツ。神聖ローマ帝国のシュヴァーベン公の配下として、平和な生活を送っていた。しかし、このままではつまらないので、いずれは独立してスイス地方を統一し、永世中立国を作るんじゃー!と息巻いてみるのであった。
十字軍の諸侯達_c0007564_2234434.jpg

同年、まずは世継ぎを作らないと一族が滅んでしまうので、近隣の伯国の家臣から適当に嫁を貰った。名をマリアと言う。ディートリッヒは、軍事7 外交4 陰謀8 管理8 と、まずまずの能力を持つ利己的でせむしで偉大な戦術家だが、マリアの方は、宮廷育ちのせいか、非常に浪費癖のある女性だったので、どんな子供が生まれるのか不安であった。

1074年、自国の置かれた立場にやっと気づき始める。
支配地を増やそうにもイスラム教圏や異教徒の国は遥か遠く、近隣のキリスト教圏の伯爵領を奪い取ろうにも、全て神聖ローマ帝国の配下である為、宣戦布告なんぞしようものなら裏切り者として即滅ぼされる運命にあるのだった。そういう訳で、目指さなくても永世中立国的存在というか、非常に平和で面白くないのである。

ディートリッヒとマリアの間には、5人の息子が生まれ、一族は安泰に見えた・・が。長男ジークフリートは宮廷内の暮らしにストレスを感じ、ストレス症を発症。次男ウィルヘルムは生まれつき冷酷で執念深い性格な上、その性格を直そうと修道院に入れた所教育上のミスから、怠惰な吃音者となる。三男タスコニ、四男ヘルマンは夭折。五男ベルトホルトは、幼い頃から寛大な性格で、父親の軍事的才能を色濃く受け継ぎ、名だたる戦術家として将来を嘱望されたが、10代で躁鬱病になってしまい、その才能を花開かせる事は出来なかった。

1093年、教皇により十字軍が発令される。が、正直どこの戦場も遠いし、フランクとかビザンチンじゃねーからそこまで熱心にもなれないディートリッヒは、子作り三昧を送る事に決定。二年後、隣国であるベルンが神聖ローマ帝国に反旗を翻すと、各地の諸侯もこぞってそれに続いた。シュヴィーツ伯の直接の主君、シュヴァーベン公もその動きに便乗し、一大勢力を築く。我が国もその動きに便乗したかったのだが、威信が足りなくて戦争もできないし、領地内で天然痘だの赤痢だのが流行しまくり、生きてるんだか死んでるんだかわからないような人生を送っていた。

1103年、ディートリッヒ死亡。享年68歳。準サリカ親族相続制を取る我が伯爵家では、一族の男子でもっとも有力な者が跡継ぎとなる。そして、ディートリッヒの跡を継いだのは、冷酷で執念深く、怠惰で吃音者な次男、ウィルヘルムであった。修道院での修行で、教会的な正義の心と教会の敵に対する敵意を育んだこの二代目は、将来この国に何をもたらすのであろうか、不安でならなかった。
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一方、ウィルヘルムの兄ジークフリートは、結婚後数人の子をもうけ、それなりに優秀な者が多かったが、精神病の気が強く、長男オーガスティン、次男エルンスト、共に要職につくが、どちらも五年のうちに躁鬱病を発症し、退職した。

そして五男ベルトホルトは、躁鬱になりながらもミラノ公爵の娘と結婚し、沢山の子をもうけ、幸せな家庭を築いた。

ちなみに、彼らの母であるマリアは、ディートリッヒの死後、肺炎を患い躁鬱病に悩まされたあげく、狂気に蝕まれ、あげく胃には回虫を飼いながらも、1123年まで生きた。

1108年、節度のある偉大なる戦略家であり、シュヴィーツ伯領の元帥の座をウィルヘルムから受け継いでいた長子ヘルマンが、ある日突然、二度と太陽は昇らない!と意味不明の言葉をつぶやき躁鬱病を発病。これにより、第二子アルメリクが、元帥の座と後継者の座に着いたのであった。後年、ヘルマンは狂気に蝕まれ、バベルの塔の再建等と言い出すのであるが、病んでいても偉大な戦略家としての能力はそう衰える物ではなく、あと一歩で後継者争いに名乗りをあげるところであった。

1120年、ミラノ公爵が死亡し、ミラノ公爵の娘を嫁にしていたベルトホルトの長子、エンゲルベルトがミラノ公爵号を請求する権利を得る。同時に、ミラノ公爵家の正統な後継者の何番目かに名を連ねる事になった。この一件で、ウィルヘルムは政略結婚の重要さを知り、結婚について本気出して考えてみる事にした。そして、自分の跡継ぎであるアルメリクの後継者が、他国の王子になっている事に初めて気付いたのであった!

実はアルメリクには男子が無く、2人の娘のうち、長女を他国に嫁がせた所、その息子がアルメリクの後継者となってしまっているのであった。このままでは我が領土は他国に乗っ取られてしまうではないか。

そう考えたウィルヘルムは、1138年、アルメリクの嫁で、もう懐妊しなくなって久しいウテを暗殺。そして男子を産ませるべく、16歳のマチルダを、47歳のアルメリクに嫁がせるのであった。暗殺されたウテは、ウィルヘルムの兄ジークフリートの娘であり、アルメリクの従姉妹にあたる。そして、マチルダは、ウィルヘルムの弟ベルトホルトの長子エンゲルベルトの娘であった。そして同年、エンゲルベルトのミラノ公爵家への権利を本家に継承させるべく、エンゲルベルトの長男ヘルマンに、アルメリクの次女を嫁がせた。マチルダが男子を出産しなかった場合に対する保険である。

1139年、アルメリクに待望の長子が誕生。レオポルドと名付けられたその男子は、誠実で正義感に溢れ、人を疑う事を知らない立派な貴公子となった。ウィルヘルムの陰謀からこのような純粋な男子が生まれたのはある種の皮肉であろうか。続き、次男ディートマール、三男フーゴが誕生。どちらも兄に似て優秀な男子であったので、軍隊に入れて教育する事にした。
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1140年、アルメリクに世継ぎが出来た事で安心したウィルヘルムが死亡。享年71歳。アルメリクが後を継いだ。が、1150年、ウテの呪いか、はたまた無理な子作りがたたったのか、アルメリクも死亡。享年59歳であった。かくして、まだ幼いレオポルドがシュヴィーツ伯領を継ぐ事になった。軍事的才能溢れる弟達とともに飛躍できるのだろうか!
by morozou2004 | 2005-02-08 22:45 | クルセイダーキングス